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プロフィール

イヤイヤ会社で働いている、サラリーマンに希望を持ってもらいたい!

はいど~も!こーたでございます。

ここまで辿り着いていただき、ありがとうございます。
めちゃくちゃ嬉しいです。

こちらでは、
ぼくのプロフィールを、書いていきますね。

カンタンに、ぼくの話をすると、

・8年小売会社の共同代表を経験
・今フリーで仕事
・ブログアフィリで10万円稼ぐ
・他の副業で32万円稼ぐ
・コンテンツビジネスに参入

という、少し異色な経験を持っています。

「タオル屋」として、友達と会社の共同経営をしていましたが、
訳あって今はフリーに。

空いた時間に、情報発信をしています。

「代表」というと、すごそうと思えるかも知れませんが、
元は凡人なんです。

全然すごい人ではありませんでした。

そんなぼくは今、「ライティング」の専門家として、
ライティングを死ぬ気で学び、
「初心者でも、凡人でもライティングが上手くなる」
を信念に発信をしています。

なぜ、

色々なことをやってきて、このようにtwitterビジネス、
ライティングの専門家として発信をしているのか。

なぜ、初心者を応援したいのか。

信念や想いを、この記事で書いていきますね。

幼少期からずらっと、書いていくんで長くなりますが、
ぜひ「ぼくの凡人っぷり」を見てください。

控えめで、寂しがり屋だけど負けず嫌いが開花する、小学校時代

入学した当初は、学校に行くのが、
イヤでイヤでよく泣いてたような気がする。

ほんと、控えめな性格で、人見知り全開の寂しがり屋。

幼稚園と小学校は、
かなり離れてたので、
友達も、クラスには1人もいなかったんじゃないかな。

だから、新しいところに行くのが、
怖かったんですね。

そのくせ、

幼馴染の「かなちゃん」と
エレベーターが一緒になると、
ボタンを押してあげるという、
カッコつけでしたw

知ってる人には強くなる内弁慶タイプ。

しかも、
女の子の前だからって、ねぇ、積極的でしたね。

この頃ぼくは「我が家って貧乏なのかな〜」って思ってました。

ぼくが、小学生の頃は、
ビックリマンシールが流行ってましたね〜

お金持ちの子たちは、
箱買いをしてシールを集めるけど、
あれが本当に羨ましかった。

で、

我が家はというと、
お金を持たせてもらえない家庭だったから、一切買えず。

「あぁ、ぼくも買いたいな〜」って言ってても、お金がない。

そんなとき、ひとつの技を編み出しました。

それは、

友達から、ダブったシールをかき集める。

っていう、

荒技です。

これが、意外とたくさん集まって、
なんだかんだ楽しめてました。

あれ?

うちって貧乏なのか?

って思うときもあったけど、とくに不満もなく
「平凡な家庭なんだな〜」って認識で過ごしてました。

そのおかげもあってか、
お金がなくても、工夫して遊ぶスキルがついたけど、
確実にケチになっていきましたねw

今でも奥さんから、よく、
「値段だけ見て、決めてるでしょ?」
ってディスられます。

小学校のときの、一番の楽しみは、ソフトボール大会でした。

けっこう大きな学校だったみたいで、全校生徒は1,000人弱。

毎年夏に、町内に分かれて対戦します。

小4から参加でき、もちろん、毎年参加してましたね〜

体を動かすことが好きで、1年生からは水泳もやってました。

6年生の頃には、チームのキャプテンに抜擢。

責任感だけは、人一倍あったから選ばれたのかな?

まぁ、当時の6年生は2人でしたが。

やっぱり大会に出るからには、優勝したいですよね〜

自分で言うのもなんですが、当時のチームは、けっこう強かったんですよ。

あれは、準決勝の試合でした。

1点差で勝っていた最終回。

みんな疲れも出てきてて、逆転されちゃいます。

なんとか抑えて、1点ビハインドで最後の攻撃が始まります。

もう、ベンチに戻るときには泣いてました。

泣き虫発動です。

逆転されたのが、ほんと悔しくて、悔しくて。

これが最後の攻撃なんだ〜とか、
まだ、もう一試合やりたいとか、

いろんな思いが絡み合って、また号泣してました。

そして、

この試合最後の打席。

力いっぱい、フルスイングすると、なんとホームラン。

「イヨッシャーーーーー!」

って叫ぶこともなく、なぜかクールに走ってましたね。

もうバレてるのに、
泣いてるのを隠したかったんですね。

見事、

逆転サヨナラホームランで幕を閉じました。

この試合で、ぼくの奥深くに眠っていた「負けず嫌い」が
完全に開花した出来事でした。

それからというもの、どんなことでも、
負けたくないって、気持ちが爆発しましたね。

ゲームやってても
スポーツしてても

とにかく負けたくない。

サッカーでキーパーやってるときに、ゴール決められると

「いやーーーーーー!」

って、怒り狂って、叫んでました。

ちょっと、短気の要素も入ってるのかな〜って
心配になるんですが、
最近では、だいぶ感情を抑えれるようになってきました。

学校生活では、超がつくほどの真面目っぷりで、
何事もなく卒業できましたとさ。

もちろん、

超平凡なぼくなので、

通知表は「◯」のオンパレードでしたw
(当時の小学校では「◎・◯・△」で評価されてました)

超平凡だった、中学校〜高校時代

中学校では3年間、バレーボール漬けの毎日でした。

  • 朝7時に登校し、朝練(学校の校門は、ぼくが開けてました)
  • 授業が終わったら、暗くなるまで練習
  • 丸1日休みは、年間に10日

こんな感じで、
学校には、バレーしに行ってましたね。

土曜日も、もちろん練習。

午前中授業なので、弁当持参。

友達の中には、
コンビニで弁当買う子もいて、
ここでも、買い食いへの憧れが発動。

中学生になった当時でも、
もちろん、お金は持ってなかったです。

でも、

「そんなもんだよな〜」

って思うぐらいで、とくに不満はありませんでした。

まぁ、

うちの家庭は、平凡だからって認識ですね。

あの頃は、
コンビニなんて全然行ったことなくて、
中学生になって、初めて行ったんじゃないかな?

まぁ、

見るもの全部、新鮮で美味しく見えましたね。

「おにぎり〜」
「こんないっぱい、パンってあるの?」
「うぉーーーーー!ジュースがめっちゃ並んどる!」

って、興奮してたな。

あれは、ほんと羨ましかったな〜って。

これだけ練習してたら、強かったんじゃないの?

って思いますよね。

安心してください。

超平凡ですよ!

1回戦で負けるわけでもなく、
優勝するでもなく、
2、3回戦ぐらいで、コロッと負けました。

平凡というか、超中途半端。

中学校時代は、
バレーやってるうちに、卒業式迎えてました。

もちろん、通知表はオール3でした。
(たまに4があっても、しっかり2で調整されてました。)

  

高校は、とにかく遠いって印象しか残ってないですね。

同じ中学からは、
友達1人だけだったし、毎日一緒に通ってました。

なぜ、その高校に行ったのかは・・・とくに理由はありません。

親は

「高校は出ておきなさい。でも、公立にしてね。」と

先生は

「オール3だと、この辺りかな。」と

ぼく

「じゃあ、そこで。」

って、感じですかね。

一般入試を受ける前に、推薦入試も受けてたんですが、
とくに、行きたい理由もなかったんで、
落ちましたね。

また、推薦入試を受けるときの理由も適当で、

「兄ちゃんが行ってる高校だから」

でした。

お前、どんだけ兄ちゃん好きやねん。

って、

ツッコまれそうですが、なんか気になるんですよね?

兄ちゃんがいる人って、そういうことないですか?

ぼくだけなのかな?

実は、

中学校のバレー部も、よくよく考えたら、
兄ちゃんがいたからなんですよね。

あれ?

なんかちょっと・・・キモいです?

やっぱ、寂しがり屋だから、引き寄せられるんですかね?

よくよく考えると、小学校のときの部活も、兄ちゃんと一緒だ。

水泳部とバスケ部でした。

友達の前では、

「兄ちゃんとの仲、悪いよ」

って言ってたのは、照れ隠しだったんですね。

まぁ、

高校の頃のエピソードは、とくになく、

いつも通り、通知表はオール3でした。

やっぱり、4があると決まって、
他の教科で2を付けられ、調整されてました。

流されるままの、大学時代

大学も、めちゃくちゃ遠い学校でした。

大学でも、超平凡な毎日を送ってましたね。

3年生の夏までは、何もなく過ごす毎日。

3年の夏に何があったかって?

これまた定番の、MLMです。

中学時代の友達一家が、ニューウェイズにドップリ。

友達に誘われるがまま、
色んなところに行きましたね〜

当時のぼくは、素直すぎて
人を疑うことが全くなかったんですよね。

だから、

声かけられれば、ついていくし、
それが、買い物でも、MLMでも一緒って感じでしたね。

とくに、自分から

「ここに行きたい!」

っていうの、あんまないんですよね〜

逆に、そうやって聞かれると、困るぐらい。

話を戻しましょう。

ドップリ一家とは、
同県のセミナーに行ったり、
大阪で大きいセミナーに行ったり、(なんて言うか忘れた)

とにかく、

色んなところに行って、話聞きまくってたな。

話を聞いては、

「えーーーーーこんな仕組みの仕事あるんだ!」

って、テンション上げてましたね。

ヒドイときには、
他の友達の家に、ニューウェーズのビデオ持ってって、

「これ、めっちゃ面白いビデオだから、一緒に見よーぜ」

って言ったら、ドン引きされました。

そのときのぼくも、ドップリでしたね〜

ほんと、無知って怖いです。

このときのぼくは、

「ニューウェーズでやっていくんだ〜!」

って思って、ドップリ一家に勧められ、名刺も作ってました。

大学3年生の夏っていうと、もう就活が始まってるんですよね。

「就活も面倒くさいな〜」

って、思ってるところにMLMの話。

揺らぎますよね。

しかも、

乾燥肌だったぼくの肌にも、
商品の相性が良かったのも、やりたいなって思う理由でしたね。

やっぱり、商品があってると信用しますよね。

終いには、

母さんをセミナーに連れて行って、話聞いたり。

あそこで、母さんが、かなり冷たい態度をとってくれてたのは、
ほんと助かりました。

他にも、

よく遊んでた、
近藤くん、まきポン、には全力で止めてもらいました。

ほんと、感謝しかありません!

結局、辞めるときも、
親の意見と友達の意見に流される、ぼくでした。

なにはともあれ、その後は順調に単位を取り、
無事、
卒業式を迎えました。

もちろん、

通知表はオール優という、超平凡な成績でした。

自分の意思を押し通す、営業時代

ついに、超平凡、オール3男が社会に出ます。

就活も、流されるままやってましたね。

4年になってすぐの就職展で、珍しく

「引っ越し屋になりたい」

って、自分の意思で決めてました。

一度バイトに行ったらキツすぎて、すぐ辞めるんですけどね。

そこから、

「夏は暑いからやらない」

って、理由で全く手をつけず、知らないうちに10月になってました。

その頃から、就職指導室に行くようになり

「大学にこんなとこあったんだ〜」

って感じで、びっくりでしたね。

ここでも、とくにやりたい仕事なんかなかったので、
指導員に言われるがまま、面接に行ってました。

一応、場所だけは見てましたね。

学校からの推薦?だったから

「楽勝でしょ」

って、油断しまくり。

だけど、緊張しいなので、真面目にやりましたよ。

でも、

結果は内定もらえず。

まぁ、そんなもんかって感じで、報告にいったら
指導員のおっちゃんがエラく怒っていて、

「もうこんな会社には、誰もやらん!」

って、叫んでました。

さすがに、

「なんか悪いことしたな〜」

って、思いました。

それからというもの、また進められるがままに面接に行き、
見事、内定をいただけました。

まぁ、こんな感じで決まった仕事なので、
やりたくもなかった営業職でした。

しかも、

3月15日から出社していたので、卒業式の前から仕事。

最悪なスタートでした。

今思うと、

ぼくの中では、完全にブラック企業でしたね。

休みの日は、年間100日弱くらいで、
連休になると出勤日が増えるという、クソ会社。

「はぁ〜また連休という名の、連続出勤が始まる・・・」

って、毎回なってました。

あのときは、日数が経つにつれて、イライラが溜まり、
鬼のような形相になってたかと思います。

当時の同僚の方、ご迷惑をかけました。

残業は、営業手当がついてるから、1円もつかない。

客先が多いので、定時に帰れる日0。

こんな会社に、よく4年もいたなって、今でも思います。

有給事件勃発

あれは、3年目の秋ぐらいだったかな〜

この会社、謎で、
祝日があると、その週の土曜日が出勤日になる、

逆振替休日制度があったんです。

謎すぎません?

はぁ?なんじゃそりゃ。

土曜日なんて、営業やることないんですけど〜

連休もなくなるし、土曜日も潰されるし、どないやねん!

そこで、ある日気づいたんです。

「そうだ、有給を使えばいいんだ!」

さっそく、上司に有給を取りたいと、言ってみます。

そしたら、

びっくりするような、回答が。

「みんなは取らないよ」

もう、ぼくの頭の中は「?」でいっぱいです。

だって、日本語おかしくないですか?

ぼく「有給取りたいんですが」

上司「みんなは取らないよ」

ぼく「は?」

上司「だから、みんなは取らないよ」

あなたは、上司にこう言われたら、なんて返しますか?

やっぱり、

「は〜そうですか、じゃあ有給取るのやめます」

ってなっちゃいますかね?

学生時代のぼくだったら、100%こう答えてましたね。

意志が弱いというか、みんなに流されるというか。

でも、それじゃあ、誰も得しないんですよ。

全員で終わっちゃいます。

実は、これ、

結果論なんですが、強引に有給取った方が、

全員するんです。

ぼくの場合は、こう返しました。

「ぼくは、みんなじゃないから取りますね」

これで、強引に有給が取れて、ぼくはハッピー!

このとき、

初めて、自分の意思を貫き通したんじゃないかな。

本当にイヤなときって、人間変われるんですね。

このときの経験があったから、
自分の意志が持てるようになった、気がします。

当時の上司に感謝。

そしたら、1週間後に、上司からあり得ない言葉が。

「いつ、有給取ろうかな〜」

って、もうニッコニコで、
鼻歌歌ってんじゃないかってぐらい、ルンルンでした。

こうして、

このクソ会社では、誰でも有給が取れるようになりました。

チャンチャン。

人の大切さを学んだ、ゴミ収集車時代

4年間ほど、
営業の仕事をして、限界に達したので転職。

入社当時から、
イヤイヤ行っていた営業職ですが、なかなか辞めれず。

辞めたいと思っているのに、行動に移せない。

「何か、きっかけないかな〜」と、また他人頼み。

そこへ、タイミング良く友達から、

「今、ゴミ収集車やってるけど、今度試験あるよ、受けてみる?」

って、お告げが来たんです。

持つべきものは友ですね。(調子良すぎ)

「もちろん、受けます!ありがとう」

履歴書を書いて、試験と面接受け、見事合格。

営業の仕事では、なかなか辞める意思を伝えることができず、
メールで伝える荒技に出ました。

メールを送って、そっこー帰るという。

ここでも、控えめな性格が出てしまいました。

お次の仕事は、ゴミ収集車に決定。

この仕事、この世で一番楽な仕事です。

まぁ、

公務員さんの仕事なので、そうなりますよね。

ぼくが、この仕事場見て思ったことは、

「うわ〜健康ランドやんけ!」

でした。

  • ゴミ収集は適度な運動
  • 事務所に帰ってこれば、お風呂が待ってる
  • 実働時間は1日4時間
  • お部屋も充実してて寝れる

どんなに忙しい日でも、必ず定時に帰れます。

これだけ待遇いいと、誰も辞めません。

そのため、募集すると、

1人の募集に対して、毎回600〜1,000人の人が集まります。

すごい倍率。

「え〜マジで〜」

って、思ったんですが、
奇跡的に1回試験受けてみたんですが、ダメでした。

記念受験ですね。

はっきり言って、仕事にやりがいはありません。

ゴミを拾って、トラックに入れるだけ。

でも、

この仕事がなくなっちゃうと、街が終わります。

いつも、

街をキレイにしてくれて、ありがとうございます!

ワンマン経営の、民間ゴミ収集車時代

名古屋市の方では、5年間という期限付きでした。

これが、1年ずつ減っていくのが、時限爆弾みたいで
辛かったな。

その間に、次の職を探すってのが、この仕事のルール。

決まらなければ「はい、さよなら〜」でおしまい。

もちろん、

違う職に就く人もいるけど、
95%の人が委託業者に乗り換えます。

まぁ、

この仕事やっちゃうと、抜けれなくなりますからね。

もう、ほんとに楽で、この仕事より楽な仕事あったら
教えてほしいくらい。

で、

ぼくも、その95%の一員になるわけです。

ちゃっかり狙ってましたね。

ちょうど、
3年が過ぎた頃に、
ゴミ収集業が委託化される動きが出てきて、

まさに、

そこに、おんぶに抱っこするわけです。

日頃、
委託業者の運転手さんとは、仲良くしてたし、
問題なく面接は合格。

晴れて、民間ゴミ収集車に昇格?しました。

そのころは、

「一生ゴミなんて、なくならないし安泰だ〜」

って、バカな考えしてましたね。

入ってみると、
初めのうちは、民間だからワーワー言われるけど、
やっぱり単純作業の仕事。

極楽でした。

「あ!もう5時だから帰ろうぜ〜」

って感じで、いつも定時になるのを待ってました。

ゴミ収集には、2つの職種があります。

ゴミを拾う作業員
ゴミ収集車を運転する運転手

運転手は大型免許がいるんで(ぼくのいた会社は)
ハードルあるけど、
なんと、給料が倍になるんです。

「えっ!マジで、バグっとるやん!」

普通免許持ってれば、15万・2週間ぐらいで取れるから
ソッコー車校いってゲット。

晴れて、給料は倍になりました。

ゴミ拾いっていう、運動ができなくなるのは、
デメリットだけど、給料倍なら我慢。

そんなこんなで、

順調に運転手を、まっとうしてたのも束の間、
ぼくが、辞めるきっかけになった事件が起きます。

経営陣のバカさがわかる、最悪の新年会事件

この会社の新年会は場所を借りてやります。

これがもう最悪で、
社長と常務が、コンパニオン呼んで
イチャイチャしたいだけ。

ただの経費のムダ遣い。

社員はイヤイヤ参加してましたね。

「うわっ!また今年もやるの?面倒くせ〜」

って、声がそこら中飛んでました。

その新年会で、事件が勃発します。

ぼくら5人は、5分ほど遅刻して会場に到着。

先に4人は、入ってったんですが、
車を停めて登って行くと、男の怒号が聞こえました。

どうやら、遅刻したことに、常務が激怒してたんです。

ぼくも、そこに合流して

「はぁ〜面倒くせいな〜」

って、話を聞いてたら、

怒り狂って、どうしようもない一言を発しました。

「お前らの替わりなんか、いくらでもいるからな!!!!!」

これ、

経営陣が言っちゃ終わりですよね。

まぁ、

この会社、常務のワンマンっぷりがヒドイんです。

  • 髭はやしてるのに、社員にはダメ
  • この会社はオレがいるから、まわってる
  • 運転めっちゃヘタクソ
  • 車乗らないくせに、会社に車停める
  • どこぞの銀行からの天下り
  • 人を見てモノを言う

しかも、

お説教中に、ベテラン運転手が着いたのにスルー。

もう、ため息しか出ませんよね。

一応、

その場の空気で謝りましたけど、最悪でした。

でも、この経験から、学ぶことができたんですよね。

人を大切にする。

何があっても、

「お前の替わりなんて、いくらでもいるんだ」

なんて、言えません。

あれを言われて、どんな気持ちになるのか、
身をもって経験できたのは、貴重だったのかもしれません。

相手目線になるって、大切ですね。

でも、

これって

中小企業だと、どこも一緒なのかなって。

ワンマン経営者に、
ガミガミ言われて、我慢して、やりたくもない仕事をする。

他に転職するのも、面倒くさいから探さない。
この歳になって、転職なんてできない。
この会社にいないと、食ってけない。
ましてや、独立なんてムリ。

ぼくも、営業してるときは、そうでした。

毎日、イヤだイヤだと、言いながら通勤して、
土日のために働く。

土日が終わると、明日から仕事っていう、イヤな気持ちに。

「はぁ〜また明日から仕事か〜」

いわゆる「サザエさん症候群」ってやつ。

そんな気持ちで、4年間という時間をムダにしました。

でも、

このプロフィールを、読みにきてくれた人は

「何か」ないのかな?
どうすれば、今の自分を変えれるのかな?

って、思ってる人だと思います。

超平凡・オール3の、ぼくが変われたように、

誰でも変われます!

諦めなければ、余裕です。

ちょっと、

熱くなっちゃたんですが、
ゴミ収集車に関しては、
名古屋市で3年、民間で3年の計6年、働きました。

全く稼げなかった、共同経営時代

民間のゴミ収集車が、めちゃくちゃな会社だったのと、
友達が起業するタイミングが重なって、
共同経営することに。

業種は、

オリジナルタオルの製造・販売です。

ぼくは、
初めての業界だったので、全く知識がない状態。

共同経営といっても、ぼくはNo.2。

決定権は、全て社長。

売上がなかなか上がらず、
アルバイトをしてる時期もありましたね。

「あのときは、本当に辛かった。」

18時に帰ってきて、夜中まで飲食店でバイト。

初めての。経験でしたね。

なんだかんだで、

5年の月日が流れて、売上はとくに変わらず

「あれ?これヤバくない?」

気づくのおそっ。

全然、ぼくが描いていた未来と違う。

今ごろ、

  • 給料は、30万、40万、50万と鰻登り。
  • お客さんからの注文で、メールが鳴り止まない。
  • 休日には、友達誘って旅行三昧

現実は違いました。

ひとつの取引先に、依存してしまうという事態に。

繁忙期だけならまだしも、他の期間はからっきし。

のくせに、

納期は短納期
単価は激安
ほぼ、その取引先の奴隷状態。

って思ってたけど、行動できない自分もいました。

この頃にはもう、この取引先がイヤでイヤで、
電話がかかってくるだけで気分悪くなってましたね。

でも、

きっかけは、あり得ないところにありましたね〜

YouTubeです。

何気なく、スロットの実践動画を見てたときだったかな。
(社会人になってから、スロカスでした)

たまたま、
おすすめの動画に、ビジネス系のYouTubeが出てきたんです。

  • 好きな場所で働ける!
  • 好きな時間に働ける!
  • 寝てる間にも最強の営業マンが仕事してくれる!

えっ!?

なにそれ?

そんな働き方あるん!!!

で、

そこからYouTubeが止まらなくなり、

Twitter、YouTube、Voicyで、
情報を集めるようになってましたね。

とにかくこれは、

「やるしかないでしょう!」

ってことで、副業スタート。

タオル屋の方は、

もうやめた方がいいのでは?
取引先に技術を譲った方がいいのでは?

と、意見したんですが、あやふやに。

のらりくらりと続き、ついに2022年12月31日に退職。

共同経営ってムズイっすねw

2023年から、フリーランスとして活動してます。

情報発信で、イヤイヤ働いてるサラリーマンに希望を持ってほしい

2020年には、
結婚もしたし、もう1人の問題じゃないんだなと。

家族のため、自分のためにと、色々な副業にチャレンジしました。

プログラミングをやってみたり
音声配信をやってみたり
アフィリエイトブログをやってみたり
などなど

なかなか、うまくいかんかったすね〜

ぼくの悪いところは、すぐに流されちゃうんです。

プログラミングが稼げるよ!
って言われると、プログラミングを始め。

今の時代、音声配信でしょ!
って言われると、音声配信を始め。

仮想通貨ブログ、トレンドですよ〜!
って言われると、ブログを始める。

と、まぁ、

フラフラ何でもかんでも、手出してました。

何もかもが、中途半端になって、

「はぁぁこの先、どうすればいいんだろう」

と、

うなだれながら、何気なく、Twitter見てました。

「あ〜そういえば、この人ちょっと気になってたんだよね〜」

って、ぐらいの気持ちで見てたら、

もう、雷落ちてましたね。

「なんじゃこりゃーーーーー!」

ってなって、

ぼくの知りたかったこと、
っていうか、ネットビジネスのやり方が、
めちゃくちゃわかりやすく、動画になってたんです。

その中でも、目に留まったのが、ライティングスキルでした。

ブログをやっていたときにも、いわれてたんですが、
いまいち確信をつけてなかった。

ほんと、なんとなく、こんな感じかな〜で理解してるつもりでした。

でも、

この人の動画を見たときに、

「わかりやす!」

って、勝手に言葉が出てましたね。

「この人だったら、ライティングスキルもマスターできるかも!」

ってことで、

気づけば、ラインでやり取りして、コンサル受けてました。

そこからもう、毎日

勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強

で、知識つけまくり。

ずーーーーっと、わからんかった、ライティングスキルが、
瞬く間に理解できて、

「あ〜そういうことだったのか」

の連発。

わからなかったことが、理解できると気持ちーって感じ。

で、

勉強嫌いだった、ぼくでも好きになってましたね。

自分の趣味のことって、無限に勉強できません?

そんな感じです。

んで、

このライティングスキルが、情報発信で
めちゃくちゃ重要なんです。

ワンピースでいう、ルフィの部分です。

で、

しかも、情報発信って、自分が稼ぐだけの手段じゃないんです。

ぼくがやってきた、今までの副業って
自分が稼げればいいやで、やってきました。

本業の給料が上がらなくて、副業やってる感じ。

自分のためだけにね。

でも、

情報発信だと、違うんです。

再現性がエグいから、
文章が苦手な人でも勉強すれば上手くなる。

文章ってセンスじゃないんです。

知識なんです。

めちゃくちゃ文章が苦手だった、ぼくがいうんだから間違いない。

学校で作文の授業になると、決まって宿題になってたからね。

ライティングスキルは、勉強すれば積み上がるし、
苦手とか関係なくなります。

ってことは、

これって、

「誰にでもチャンスがあるってことなんです!」

ぼくは、もともと、イヤイヤ仕事をしてるサラリーマンでした。

でも、

そんな、

「疲れきってるサラリーマンの方にも希望を持ってほしい」

んです。

もちろん、

サラリーマンが悪いって、言ってるわけじゃないすよ。

人には、向き・不向きがあるから。

たまたま、ぼくの場合は向いてなかった。

ただそれだけです。

でも、

やりたくもない仕事を、我慢しながらやるのは、
どうなのかな〜って。

家族にも、体にも悪い。

機嫌悪くなれば、あたっちゃうし、
無理をすれば、白毛生えてくるし、

そうならないためにも、
他の働き方もあるんだよ〜って、希望を持ってもらいたい。

だから、ぼくは情報発信して、

1人でも苦しんでる人に希望を持ってもらいたい。

そのためには、

もっと勉強して、もっと知識つけて、
レベルアップします!

と、

長々と書いてきましたが、

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

面白いと思っていただけたら、

ぜひ、感想もらえると嬉しいです。

泣いて喜びます!

ではでは、長い間ありがとうございました。

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